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Thirty Years On: The Social and Cultural Impacts of the Iranian Revolution 


イラン革命30周年にちなんで先週末行われた大学主催のイベント。
今まで参加してみたイベントの中で一番面白い内容であり、素晴らしい企画だったと思う。大きな講堂を使って行われる全員が参加するパネルディスカッションの合間には、博士課程の学生を中心にリサーチ内容を発表し質疑応答をする時間も設けられ、テーマごとに別れた部屋で一番興味のあるテーマを選んで参加できるようになっていた。さらに、一日中ドキュメンタリーや映画が放送され(ペルシア語で字幕がないものが多かったので私はほとんど見ませんでしたが)、夜には別料金でコメディーショーやイラン出身のミュージシャンがコンサートを行ったりもした。内容は文化、歴史、メディア、女性運動、政治に及び、以下に私が参加したパネルディスカッションと各セッションの内容をまとめます。
ただし、このイベントでは大学側の記録のための撮影のみ許されていて、外部の者の録音、撮影はすべて禁止されていた。著作権の問題というよりも、言論の自由の度合いが他の国と比べるとあまり高くないであろうイランという国から何らかの使命感を持ってロンドンに来て話をしてくれたスピーカーの立場という問題もある。参加者の一人も言っていたように今はグーグル検索に引っかかっただけでその時点でもう世界中に発信しているということになってしまう。政治的に難しい問題を扱うのは特に大変だ。だから私もあえてブログで誰によるとこうだ、と書かず、以下は全体の感想です。

<Researching Contemporary Iran:Historical, Theoretical and Methodological Issues>
ここではいろいろな研究者がどのようなリサーチ方法でイランについて調べそしてそのフィールドワークにおいての体験や気づいた事柄について討論した。
都市よりも田舎に重点を置いて調べる方がいいと主張する人もいれば、やはり政治活動や若者の運動は都市を中心にして広まっていくからテヘランを中心に研究をしたという人もいる。若者文化を研究した教授は解放的になった若者文化に対する恐れによって1979年の革命運動は促進されたものの、今度はその革命後の社会が若者文化を違った形で促進させるようになり、というような歴史的循環があることにも注目していた。
個人の信仰、個人の宗教活動、集団の信仰、集団での宗教活動、をそれぞれ数値にして調べた研究者は、イランにおいて政治と宗教の混合は、信仰や宗教活動を盛んにするだけではなく、逆の効果もあるという結論を出した。また数値から分かることは、信仰や宗教活動が必ずしも「国」レベルでの政策に結びついているわけではなく、もっとコミュニティーレベルに関係しているという。つまり政治化された宗教は宗教というよりも政治に近いということが30年経って分かってきた。


<Journalism, Media and Blogs>
イランには現在2,877の新聞、雑誌、ニュースエージェンシーが存在し、3000に上る数が今許可を申請中だという
またこのセッションでは学生がボランティアで作り上げてきたニュースエージェンシーについてとその成功の秘密の研究が発表された。この学生団体にインタビューを受ける側ももっと解放的に答えたということや、学生団体が意図的に上流階級をなるべくさけ、社会の底辺にいる立場の人の苦労や問題をより理解しようとする学生ボランティアを多く受け入れてきたということがポイントだった。


<Visual Arts>
ミュージックビデオ製作者、写真家、イラストレーター、映画制作者などが各々の作品を紹介しながら話をしてくれた。どの作品からもいろいろな思いが伝わってきたのだが、特に印象に残ったのがイラストレーターの作品(その話は後ほど)。質疑応答もとても活発に行われて、「写真家は一般のマスコミがとらないような写真を沢山撮っていたけれど、なんとなくイランを外から写している感じがする、その反面イラストレーターの作品はイランの中から発信している感じがする」という面白い意見も沢山あがった。さて、私も含め参加者がすごく感銘を受けた作品というのがこちら。テヘランでの生活をダークにそしてカラフルに描いたものが多い。イラストレーターのGolrokhnは「イラン人画家」という枠にはまるのではなく一人の「画家」として「自己」を探し表現するため、幼少時代に見てきたイランから現在のテヘランに至るまでを描き続けている。ちょうど彼女が生まれたのが革命直後だったため、彼女の年代は革命の子と呼ばれるし、革命後の社会の発展とともに育ってきた世代だ。それが彼女の作品を「政治的」にも見せるのだが、実はいたって普通に、普通の幸せ(バルコニーで友人とくつろいでいる瞬間)や苦労(ビザが発行されるのを待っていたり)の一瞬一瞬を表現している、それだからこそイラン人でない私や他の参加者一人一人の人生とも重なるところがあり鑑賞する人をすごく感動させたと思う。もちろん作品は見れば言葉無しに人を感動させるところに意義があるのでここにあまりごちゃごちゃ書くことはしたくないけれど。「“イラン人”と言ってもあったことの無い人ばかりで一体自分と同じ都市にすむイラン人はどういう人達なんだろう?」という疑問から自己やテヘランで出会ったいろいろな職業の人達を描くことにしたと言っていた。そして自己から始まり一人一人にスポットをあててその人が感じる小さな幸せをつなぎ合わせていければとても素敵なコミュニティーができるに違いない、というのが作品の根底にある。「もちろんアートや表現に「限界」はあるかもしれない、そして人はその限界や制限について語ることが多いけど、それよりも何ができるか、をまず考えればいいのに」、と淡々と語る彼女の姿が目に焼きついた。
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<Music>
上記のアートと共通して印象的だったのが、イラン出身のミュージシャンや歌手がそれぞれ「イラン」を売りにするのではなく「個人」の作品ということに重きを置いているということ。欧米で活動しようと思えばどうしても「イラン人アーティストの・・・」と紹介されることが多いのが現状だが(日本人でも同じことが言えると思う)そこを打破して「個人」に注目してもらうにはもちろん歌手本人のスタイルや努力にもよるのかもしれないけれどやはり相対的な数が増えるまでの時間の問題かもしれない、と言う参加者もいた。今はイラン人で活躍する国際的アーティストの人口がまだ少ないからイラン人であるというところにまず注目されるけれど、近い将来は少し違ってくるのかもしれない。

イスラムの政治で踊りなどがどこまで規制されるものなのか、については、明確な答えというものはない。イランの現状にあまり詳しくない参加者とパネラーとの質疑応答を聞いていて、やはりYes、Noの限度を知るためにはその国に実際暮らして身につける「勘」や「センス」が必要になってくると思う。「踊ってはいけない、と憲法に規定されてるの?明記されていないならどうして踊って罰せられるということがありえるの?」と理解に苦しむ参加者もいたが、大人数で踊るような場面だと全員逮捕するわけにもいかず警察は気にしない、でも路上で一人で勝手に踊っていたりすれば問題になることもあるかもしれない、というようにさまざまな状況を経験することによってその国の明記された憲法だけでない常識やルールが分かってくるようだ。。。

<Contemporary Cinema>
イラン映画の特徴として、会話のないシーンは割と少なく、視聴者に考えさせるというよりも声に出して視聴者の求めているものを提供するというパターンが多いらしい。(メモ)
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by congeniality | 2009-06-13 08:02 | Middle East
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