【FABULOUS!!】

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Nominalismとは関係無いですが、
自分の専攻科目とか、自分の所属している機関とか大学、に対して、
誇りを持つのはいいことですが、無駄にシガミツク態度には嫌悪感しか持てない
「正当」に評価されたい、と思う気持ちは誰にでもあって当然だし、
自分が本当に頑張ってたどりついた場所ならなお更、過小評価されるのは嫌にきまっている
だけど、この分野はこの大学よりこの大学の方が良いとか、このコンテストで優勝するのは
こっちよりも価値があるとか、少しは知っていても全部が全部把握できているわけではない
そのように、もし相手が知らなかった場合、自分から言うのか?それとも気づいてくれるまで待つのか?気づかれぬまま、誤解されたまま、過小評価または過大評価され続けるのか?・・・(いやきっと過大評価されて嫌な人はいないだろうから、問題は過小評価または自分で思っているほどの価値を相手に理解してもらえなかったときだと思う)
この選択には私も迷うことがある
今までの経験上、私が聞く側だったら、相手が自分から伝えてくることもあるし、何も言われないで後からあの人こんなにすごいんだなーとこっちが気づく場合もあるし、もしかしたら知らないままになっていることもあるかもしれない
自己アピールすることは決して悪いことじゃないと思うし、私自身自己アピールの塊だった時期もあった
けど、言い方とか、態度を本当に気をつけないと、ただ単に人間の価値をぐーんと下げるだけになってしまう、とこの頃思う
言い方とか態度、といったけれど、つまり思考は言い方や態度に反映される
ランキングとか社会的評価を相手に伝えることだけに必死になっているような感じがすると
むしろ、ランキング&社会的評価を取ったら、何も残らない、または、そこに所属していなければ何の価値も無い人間です、と逆アピールされているように思えてしまう
そうするとなんだか途端にすごくむなしくなって、
「僕が今日釣った魚はこーんなに大きかったんだ!」と実際釣った魚の倍ぐらい手を広げてる漫画とかを思い出してしまって、相手の話は上の空になってしまう・・・
もちろん私が聞き手の時、こんなにすごいことをやってる、と相手に言われたら、素直に受け止めればいいのかもしれないけれど、ニュアンスというのはどうしてもひっかかる
ニュアンスと一言で言っても、とっても微妙だけど、好意に変わるか嫌悪に変わるか(釣った魚の話を想像させるかさせないか)はその微妙なところにかかってくると思う
自分から言うか言わないか、の他にも、聞かれた時の答え方だって同じ
本当にその人が自然体でいるのか、または何かに属していることへの余計なプライドとか満足とかがにじみ出て、いかにも聞いてくれてありがとう、ぐらいのニュアンスなのかは、結構分かる
厳しすぎるかもしれないけど、これは自分も気をつけようと思うし、
本当に自然体でいられるようになりたい
自然体の人はどんな場面に遭遇しても堂々と対応できると思う
大統領を前にして笑顔でこんにちは!と言えるぐらいで丁度いい

高校を卒業してから、周りが大学に行ったり、就職したりすることがどんどん増えてきて、
分野が細分化されるにつれて、お互い相手が社会的にどのくらいのどこに所属しているのか、ということは気になる
名前を聞きたがったり名前やランキングを言いたがったりするのは人間の習性だと思う
けれど、本当に人間として魅力を感じるのは「社会が決めた物差しの上」で「社会がどれだけ評価する」何をやっているかではなくて、どれだけ相手のことを思いやる人か、とか、どれだけ面白い人か、だ
そして、どれだけ社会的なBlahblahblahを気にしないで接しあえて、話している時にそんなことも忘れてしまえるような関係、
たぶん、そんな関係を築ける人同士が本当の友達と呼べるのではないかと思う
くだらない話、というと本当に意味の無い話みたいに、聞こえるけど、
私が呼ぶくだらない話ができる友達と呼ぶことの背景にはいつもこんな条件がある
話がそれるけれど、「這い上がる」という表現、 
「這い上がる」という言葉からして、それは社会に地位の上下があることを前提している・・・
人生は下から上に、という風に捉えるよりも、真直ぐ進むもの、として捉えたほうがいいんじゃないかなー
そして私は早く寝ないと朝起きられないのではないかなー
もうすぐ4時になるー
一緒に図書館で勉強してた友達は家が遠いから遅くなると私の部屋に泊まって行くことがあって、彼女はもうさっさと寝てる
私のベッドで
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by congeniality | 2007-05-19 11:45 | Thinking about...
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